2013年03月26日
どっちが正しい?『的を射た』と『的を得た』
こんにちは。菊池建設の sugar です。
日頃から気になっていたことや、わからないままにしていたことを解明するシリーズ(?)である「日常の世迷言」ですが、今日も以前から気になっていたことについて、お話しします。
今日のテーマは「どっちが正しい?『的を射た』と『的を得た』」です。
先日、某地元FM局の番組内で某レポーターのK保Hとみさんが「これは的を得た答えですねぇ~。」としきりに連発しているのを聞きまして、「ん?『的を得た』ではなくて『的を射た』ではなかったか?でなければ、「当を得た」だったはずだ。昔学校の先生が間違いやすいから気をつけるように!と言ってもんなぁ・・・。」と思ったワケなんですが、そんな春爛漫の今日この頃、皆様、いかがお過ごしでしょうか?
・・・と、どこかの有名ブログ的な言い回しはさておき、一体どれが正しいのでしょうか?
聞き流そうと思ったのですが、どうにも気になって仕方がありません。
で、調べてみました。
某Q&Aサイトで調べてみましたら、同じようなことで悩んでいらっしゃる方がいたんですねぇ。
世の中には同じことで悩んでいる方がいると知って、少し嬉しくなったりしたんですが、それはともかく、この悩みは解決されるのでしょうか?
今日はそのベストアンサーとされた方のご意見に聞き耳を・・・・
「最近の日本語ブームで、『的を得る』は誤用として有名な表現のひとつです。
しかし、混乱させたら申し訳ありませんが、『的を得る』は必ずしも誤用ではない、という立場もあります。

この場合の「的」というのは、正鵠(=的のど真ん中)のことを表しているのだという解釈です。たしかに、的の端っこのほうを射ても、一応「的を射」てはいますが、「的を得た」とはいえませんね。
従って、問題の核心をズバリ突いた回答は「的を得た」(=「正鵠を得た」)といったほうが正確だ、という立場です。
まあしかし、先の回答をご覧になればわかるように、現在は「的を得た」などと言うと問答無用で物知らず扱いされるような風潮もありますから、「的を射た」と言っておくほうが無難だと思います。」
このサイトで、ベストアンサーとされた「ysk26」さんという方のお答えが上記のコメントでした。
しかし、一方では「gorou23」さんという方の・・・
「間違いです。「射的」という言葉もあるように、 『的の真ん中を射る=しっくりくる・要点をつかむ』 ということです。
的を得ても何のメリットもありませんからね(笑)」
・・・というご意見もあり、このサイト内でも意見は分かれているというより、後者の意見の方がやはり多かったのです。
私もどちらかというと、後者つまり、正解は「的を射た」であり、同じ用法として「当を得た」があるのだと思います。
どちらも「核心を突いた」、転じて、「的確な・・・」という意味です。
このよく似た表現が混同されて「的を得た」という言い方になってしまったのではないかと思います。
ここでいう的とは弓道や射撃の的全体のことを指すのではなく、その的の中心、つまり「正鵠」を指すのであって、その(全体の)的の中でもド真ん中である中心(つまり「正鵠」)を射抜いた=核心を突いた、つまり実に的確な、ということなんだと思います。
「的を得る」というと、ベストアンサーの方には申し訳ありませんが、的全体のどこかに当たってなんとか「的を得た」というニュアンスの方が私には強く感じます。
やはり、的の中心は射抜かなきゃ!と、思うのです。
ただ、ややこしいことに「正鵠を得る」という表現があり、これは正しい表現だとされています。
この言葉は中国・春秋時代の『礼記』などにあり、しかも「的を射る」という言葉よりも古い時代の表現なのです。
言葉というものは時代によって変遷していくものですから、もしかしたら、今このようにどちらが正しいかわかりにくくなっているのはまさにこの言葉の意味合いが刻一刻と移り変わっていくその真っ只中にいるのかもしれませんね。
さてさて、今年の自分はどれだけ多く、お客様に『的を射た』お話しができるのか・・・?
一連のこの言葉から、そんな思いを抱きました。
K保Hとみさん、それに気づかせてくれてありがとうございました。
もっと、言葉のセンスも磨かなくっちゃ!
(以上、 sugar こと 相川正也 でした。)
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日頃から気になっていたことや、わからないままにしていたことを解明するシリーズ(?)である「日常の世迷言」ですが、今日も以前から気になっていたことについて、お話しします。
今日のテーマは「どっちが正しい?『的を射た』と『的を得た』」です。
先日、某地元FM局の番組内で某レポーターのK保Hとみさんが「これは的を得た答えですねぇ~。」としきりに連発しているのを聞きまして、「ん?『的を得た』ではなくて『的を射た』ではなかったか?でなければ、「当を得た」だったはずだ。昔学校の先生が間違いやすいから気をつけるように!と言ってもんなぁ・・・。」と思ったワケなんですが、そんな春爛漫の今日この頃、皆様、いかがお過ごしでしょうか?
・・・と、どこかの有名ブログ的な言い回しはさておき、一体どれが正しいのでしょうか?
聞き流そうと思ったのですが、どうにも気になって仕方がありません。
で、調べてみました。
某Q&Aサイトで調べてみましたら、同じようなことで悩んでいらっしゃる方がいたんですねぇ。
世の中には同じことで悩んでいる方がいると知って、少し嬉しくなったりしたんですが、それはともかく、この悩みは解決されるのでしょうか?
今日はそのベストアンサーとされた方のご意見に聞き耳を・・・・
「最近の日本語ブームで、『的を得る』は誤用として有名な表現のひとつです。
しかし、混乱させたら申し訳ありませんが、『的を得る』は必ずしも誤用ではない、という立場もあります。

この場合の「的」というのは、正鵠(=的のど真ん中)のことを表しているのだという解釈です。たしかに、的の端っこのほうを射ても、一応「的を射」てはいますが、「的を得た」とはいえませんね。
従って、問題の核心をズバリ突いた回答は「的を得た」(=「正鵠を得た」)といったほうが正確だ、という立場です。
まあしかし、先の回答をご覧になればわかるように、現在は「的を得た」などと言うと問答無用で物知らず扱いされるような風潮もありますから、「的を射た」と言っておくほうが無難だと思います。」
このサイトで、ベストアンサーとされた「ysk26」さんという方のお答えが上記のコメントでした。
しかし、一方では「gorou23」さんという方の・・・
「間違いです。「射的」という言葉もあるように、 『的の真ん中を射る=しっくりくる・要点をつかむ』 ということです。
的を得ても何のメリットもありませんからね(笑)」
・・・というご意見もあり、このサイト内でも意見は分かれているというより、後者の意見の方がやはり多かったのです。
私もどちらかというと、後者つまり、正解は「的を射た」であり、同じ用法として「当を得た」があるのだと思います。
どちらも「核心を突いた」、転じて、「的確な・・・」という意味です。
このよく似た表現が混同されて「的を得た」という言い方になってしまったのではないかと思います。
ここでいう的とは弓道や射撃の的全体のことを指すのではなく、その的の中心、つまり「正鵠」を指すのであって、その(全体の)的の中でもド真ん中である中心(つまり「正鵠」)を射抜いた=核心を突いた、つまり実に的確な、ということなんだと思います。
「的を得る」というと、ベストアンサーの方には申し訳ありませんが、的全体のどこかに当たってなんとか「的を得た」というニュアンスの方が私には強く感じます。
やはり、的の中心は射抜かなきゃ!と、思うのです。
ただ、ややこしいことに「正鵠を得る」という表現があり、これは正しい表現だとされています。
この言葉は中国・春秋時代の『礼記』などにあり、しかも「的を射る」という言葉よりも古い時代の表現なのです。
言葉というものは時代によって変遷していくものですから、もしかしたら、今このようにどちらが正しいかわかりにくくなっているのはまさにこの言葉の意味合いが刻一刻と移り変わっていくその真っ只中にいるのかもしれませんね。
さてさて、今年の自分はどれだけ多く、お客様に『的を射た』お話しができるのか・・・?
一連のこの言葉から、そんな思いを抱きました。
K保Hとみさん、それに気づかせてくれてありがとうございました。
もっと、言葉のセンスも磨かなくっちゃ!
(以上、 sugar こと 相川正也 でした。)
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