2013年03月31日
大黒柱伐採会【製材を行いました】

先週の出来事になりますが、
大黒柱伐採会にてお選び頂いた檜の、製材に立ち会って参りました。

ゴロゴロとお出迎えの一番玉、2番玉たち。
森の中で見るのとはまた違った趣があります。

丸太をノコギリに向けて力強く押し出す、大きな台車。
この作業の為に生み出されたのであろう動きに見とれてしまいます。
*余談ですが、母の実家は丹後縮緬の工場を併設しておりまして、
幼い頃、ガチャンガチャンと音を立てる機織り器を、飽きもせず眺めていたものです。
天井の近くに、ワニのような機械があったりして、それはそれは愉快でした。
その当時の気持ちをふいに思い出しながら見ておりました。

ここでいきなり作業完了の写真になってしまいますが、それには訳が…。
四隅に丸太の皮部分を残す、「ビンタ付き柱」の皮むきを
お手伝いさせて頂いていたのでした。
製材所の風景を、
デジカメと携帯電話で撮影いたしました。
1分半程の映像です。
さとう
2013年03月29日
何故フェンダーミラーの車を見かけなくなったか?
こんにちは。菊池建設の sugar です。
日頃から気になっていたことや、わからないままにしていたことを解明するシリーズ(?)である「日常の世迷言」ですが、今日も以前から気になっていたことについて、お話しします。
今日のテーマは「何故フェンダーミラーの車を見かけなくなったか?」です。
最近の車はデザインもかっこいいものが増えましたよね。
しかし、考えてみれば私が子供の頃は車のボンネットの両端の先端にミラーが付いている「フェンダーミラー」しかなかったのに、いつの間にか前席のドアの吊り元にミラーが付いている「ドアミラー」タイプが主流になっています。
主流というより、ほぼ全部がドアミラーになっていて、もはやタクシーや社用車くらいしかフェンダーミラーの車は見られなくなってしまいました。

では何故タクシーや社用車だけはフェンダーミラーのままなのか?
きっと理由があるはずだ!
というわけで、何故なのか、調べてみました。
その前に、何故フェンダーミラーからドアミラーに変わっていったかを見る必要がありそうです。
国土交通省に訊いてみましたところ、かつて運輸省(現・国土交通省)は乗用車に関して、後方確認の際に首を大きく動かさなくてはいけないドアミラーの使用を認めていませんでした。
だから、どの車もフェンダーミラーだったわけです。
しかし、当時既にアメリカやヨーロッパではドアミラーが主流でした。

こうして、国内でもドアミラーの需要が高まったのを受けて、昭和58(1983)年に「ドアミラーでも安全上、問題なし」との判断を下してドアミラーを解禁したのです。
こうして、一挙にドアミラーの車が急増したのです。
デザイン的にもフェンダーミラーよりもドアミラーの方が車のフロント部分のデザインの幅が広がり、スタイリッシュな車ができることも手伝って各車メーカーもこぞってドアミラー車を普及させたのです。
確かに写真を比べてもフェンダーミラーよりもドアミラーの方がやっぱりかっこいいもんなぁ。
こうして、法人タクシー用のLPG車や一部の社用車以外は全てドアミラー車が標準仕様になるに至りました。
では、法人タクシー車は何故今だにドアミラーではなく、フェンダーミラーなのか?というと、「フェンダーミラーの方が目の動きだけで後方確認ができるので、ドアミラーよりも使い勝手がよいし、安全性も高いと考えているからです。」とは社団法人「全国乗用自動車連合会」の答えでした。
とはいえ、個人タクシーや一部のパトカーはLPG車ではないので、ドアミラーが主流なんだそうです。
しかし、ドアミラーも慣れればそんなに後方確認がたいへんということもないと私は思います。
慣れだよ慣れ!(笑)
それでも一日に長い距離を乗るタクシーのドライバーさんにはやはりフェンダーミラーの方がきっと楽なんでしょうねぇ。
(以上、 sugar こと 相川正也 でした。)
.
日頃から気になっていたことや、わからないままにしていたことを解明するシリーズ(?)である「日常の世迷言」ですが、今日も以前から気になっていたことについて、お話しします。
今日のテーマは「何故フェンダーミラーの車を見かけなくなったか?」です。
最近の車はデザインもかっこいいものが増えましたよね。
しかし、考えてみれば私が子供の頃は車のボンネットの両端の先端にミラーが付いている「フェンダーミラー」しかなかったのに、いつの間にか前席のドアの吊り元にミラーが付いている「ドアミラー」タイプが主流になっています。
主流というより、ほぼ全部がドアミラーになっていて、もはやタクシーや社用車くらいしかフェンダーミラーの車は見られなくなってしまいました。

では何故タクシーや社用車だけはフェンダーミラーのままなのか?
きっと理由があるはずだ!
というわけで、何故なのか、調べてみました。
その前に、何故フェンダーミラーからドアミラーに変わっていったかを見る必要がありそうです。
国土交通省に訊いてみましたところ、かつて運輸省(現・国土交通省)は乗用車に関して、後方確認の際に首を大きく動かさなくてはいけないドアミラーの使用を認めていませんでした。
だから、どの車もフェンダーミラーだったわけです。
しかし、当時既にアメリカやヨーロッパではドアミラーが主流でした。

こうして、国内でもドアミラーの需要が高まったのを受けて、昭和58(1983)年に「ドアミラーでも安全上、問題なし」との判断を下してドアミラーを解禁したのです。
こうして、一挙にドアミラーの車が急増したのです。
デザイン的にもフェンダーミラーよりもドアミラーの方が車のフロント部分のデザインの幅が広がり、スタイリッシュな車ができることも手伝って各車メーカーもこぞってドアミラー車を普及させたのです。
確かに写真を比べてもフェンダーミラーよりもドアミラーの方がやっぱりかっこいいもんなぁ。
こうして、法人タクシー用のLPG車や一部の社用車以外は全てドアミラー車が標準仕様になるに至りました。
では、法人タクシー車は何故今だにドアミラーではなく、フェンダーミラーなのか?というと、「フェンダーミラーの方が目の動きだけで後方確認ができるので、ドアミラーよりも使い勝手がよいし、安全性も高いと考えているからです。」とは社団法人「全国乗用自動車連合会」の答えでした。
とはいえ、個人タクシーや一部のパトカーはLPG車ではないので、ドアミラーが主流なんだそうです。
しかし、ドアミラーも慣れればそんなに後方確認がたいへんということもないと私は思います。
慣れだよ慣れ!(笑)
それでも一日に長い距離を乗るタクシーのドライバーさんにはやはりフェンダーミラーの方がきっと楽なんでしょうねぇ。
(以上、 sugar こと 相川正也 でした。)
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2013年03月26日
どっちが正しい?『的を射た』と『的を得た』
こんにちは。菊池建設の sugar です。
日頃から気になっていたことや、わからないままにしていたことを解明するシリーズ(?)である「日常の世迷言」ですが、今日も以前から気になっていたことについて、お話しします。
今日のテーマは「どっちが正しい?『的を射た』と『的を得た』」です。
先日、某地元FM局の番組内で某レポーターのK保Hとみさんが「これは的を得た答えですねぇ~。」としきりに連発しているのを聞きまして、「ん?『的を得た』ではなくて『的を射た』ではなかったか?でなければ、「当を得た」だったはずだ。昔学校の先生が間違いやすいから気をつけるように!と言ってもんなぁ・・・。」と思ったワケなんですが、そんな春爛漫の今日この頃、皆様、いかがお過ごしでしょうか?
・・・と、どこかの有名ブログ的な言い回しはさておき、一体どれが正しいのでしょうか?
聞き流そうと思ったのですが、どうにも気になって仕方がありません。
で、調べてみました。
某Q&Aサイトで調べてみましたら、同じようなことで悩んでいらっしゃる方がいたんですねぇ。
世の中には同じことで悩んでいる方がいると知って、少し嬉しくなったりしたんですが、それはともかく、この悩みは解決されるのでしょうか?
今日はそのベストアンサーとされた方のご意見に聞き耳を・・・・
「最近の日本語ブームで、『的を得る』は誤用として有名な表現のひとつです。
しかし、混乱させたら申し訳ありませんが、『的を得る』は必ずしも誤用ではない、という立場もあります。

この場合の「的」というのは、正鵠(=的のど真ん中)のことを表しているのだという解釈です。たしかに、的の端っこのほうを射ても、一応「的を射」てはいますが、「的を得た」とはいえませんね。
従って、問題の核心をズバリ突いた回答は「的を得た」(=「正鵠を得た」)といったほうが正確だ、という立場です。
まあしかし、先の回答をご覧になればわかるように、現在は「的を得た」などと言うと問答無用で物知らず扱いされるような風潮もありますから、「的を射た」と言っておくほうが無難だと思います。」
このサイトで、ベストアンサーとされた「ysk26」さんという方のお答えが上記のコメントでした。
しかし、一方では「gorou23」さんという方の・・・
「間違いです。「射的」という言葉もあるように、 『的の真ん中を射る=しっくりくる・要点をつかむ』 ということです。
的を得ても何のメリットもありませんからね(笑)」
・・・というご意見もあり、このサイト内でも意見は分かれているというより、後者の意見の方がやはり多かったのです。
私もどちらかというと、後者つまり、正解は「的を射た」であり、同じ用法として「当を得た」があるのだと思います。
どちらも「核心を突いた」、転じて、「的確な・・・」という意味です。
このよく似た表現が混同されて「的を得た」という言い方になってしまったのではないかと思います。
ここでいう的とは弓道や射撃の的全体のことを指すのではなく、その的の中心、つまり「正鵠」を指すのであって、その(全体の)的の中でもド真ん中である中心(つまり「正鵠」)を射抜いた=核心を突いた、つまり実に的確な、ということなんだと思います。
「的を得る」というと、ベストアンサーの方には申し訳ありませんが、的全体のどこかに当たってなんとか「的を得た」というニュアンスの方が私には強く感じます。
やはり、的の中心は射抜かなきゃ!と、思うのです。
ただ、ややこしいことに「正鵠を得る」という表現があり、これは正しい表現だとされています。
この言葉は中国・春秋時代の『礼記』などにあり、しかも「的を射る」という言葉よりも古い時代の表現なのです。
言葉というものは時代によって変遷していくものですから、もしかしたら、今このようにどちらが正しいかわかりにくくなっているのはまさにこの言葉の意味合いが刻一刻と移り変わっていくその真っ只中にいるのかもしれませんね。
さてさて、今年の自分はどれだけ多く、お客様に『的を射た』お話しができるのか・・・?
一連のこの言葉から、そんな思いを抱きました。
K保Hとみさん、それに気づかせてくれてありがとうございました。
もっと、言葉のセンスも磨かなくっちゃ!
(以上、 sugar こと 相川正也 でした。)
.
日頃から気になっていたことや、わからないままにしていたことを解明するシリーズ(?)である「日常の世迷言」ですが、今日も以前から気になっていたことについて、お話しします。
今日のテーマは「どっちが正しい?『的を射た』と『的を得た』」です。
先日、某地元FM局の番組内で某レポーターのK保Hとみさんが「これは的を得た答えですねぇ~。」としきりに連発しているのを聞きまして、「ん?『的を得た』ではなくて『的を射た』ではなかったか?でなければ、「当を得た」だったはずだ。昔学校の先生が間違いやすいから気をつけるように!と言ってもんなぁ・・・。」と思ったワケなんですが、そんな春爛漫の今日この頃、皆様、いかがお過ごしでしょうか?
・・・と、どこかの有名ブログ的な言い回しはさておき、一体どれが正しいのでしょうか?
聞き流そうと思ったのですが、どうにも気になって仕方がありません。
で、調べてみました。
某Q&Aサイトで調べてみましたら、同じようなことで悩んでいらっしゃる方がいたんですねぇ。
世の中には同じことで悩んでいる方がいると知って、少し嬉しくなったりしたんですが、それはともかく、この悩みは解決されるのでしょうか?
今日はそのベストアンサーとされた方のご意見に聞き耳を・・・・
「最近の日本語ブームで、『的を得る』は誤用として有名な表現のひとつです。
しかし、混乱させたら申し訳ありませんが、『的を得る』は必ずしも誤用ではない、という立場もあります。

この場合の「的」というのは、正鵠(=的のど真ん中)のことを表しているのだという解釈です。たしかに、的の端っこのほうを射ても、一応「的を射」てはいますが、「的を得た」とはいえませんね。
従って、問題の核心をズバリ突いた回答は「的を得た」(=「正鵠を得た」)といったほうが正確だ、という立場です。
まあしかし、先の回答をご覧になればわかるように、現在は「的を得た」などと言うと問答無用で物知らず扱いされるような風潮もありますから、「的を射た」と言っておくほうが無難だと思います。」
このサイトで、ベストアンサーとされた「ysk26」さんという方のお答えが上記のコメントでした。
しかし、一方では「gorou23」さんという方の・・・
「間違いです。「射的」という言葉もあるように、 『的の真ん中を射る=しっくりくる・要点をつかむ』 ということです。
的を得ても何のメリットもありませんからね(笑)」
・・・というご意見もあり、このサイト内でも意見は分かれているというより、後者の意見の方がやはり多かったのです。
私もどちらかというと、後者つまり、正解は「的を射た」であり、同じ用法として「当を得た」があるのだと思います。
どちらも「核心を突いた」、転じて、「的確な・・・」という意味です。
このよく似た表現が混同されて「的を得た」という言い方になってしまったのではないかと思います。
ここでいう的とは弓道や射撃の的全体のことを指すのではなく、その的の中心、つまり「正鵠」を指すのであって、その(全体の)的の中でもド真ん中である中心(つまり「正鵠」)を射抜いた=核心を突いた、つまり実に的確な、ということなんだと思います。
「的を得る」というと、ベストアンサーの方には申し訳ありませんが、的全体のどこかに当たってなんとか「的を得た」というニュアンスの方が私には強く感じます。
やはり、的の中心は射抜かなきゃ!と、思うのです。
ただ、ややこしいことに「正鵠を得る」という表現があり、これは正しい表現だとされています。
この言葉は中国・春秋時代の『礼記』などにあり、しかも「的を射る」という言葉よりも古い時代の表現なのです。
言葉というものは時代によって変遷していくものですから、もしかしたら、今このようにどちらが正しいかわかりにくくなっているのはまさにこの言葉の意味合いが刻一刻と移り変わっていくその真っ只中にいるのかもしれませんね。
さてさて、今年の自分はどれだけ多く、お客様に『的を射た』お話しができるのか・・・?
一連のこの言葉から、そんな思いを抱きました。
K保Hとみさん、それに気づかせてくれてありがとうございました。
もっと、言葉のセンスも磨かなくっちゃ!
(以上、 sugar こと 相川正也 でした。)
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2013年03月24日
かわいい(*^_^*)
羽根だより!!
お客様の家でお打ち合わせの帰りに庭先で見かけた可愛い花(*^_^*)

花海棠(*゚▽゚*)
あんまり可愛かったので、お願いして写真撮りました♪
桜満開でほかの綺麗な花達を忘れがちな季節!
「私もきれいに咲いたよ」って言ってるみたいね(*^_^*)
お客様の家でお打ち合わせの帰りに庭先で見かけた可愛い花(*^_^*)

花海棠(*゚▽゚*)
あんまり可愛かったので、お願いして写真撮りました♪
桜満開でほかの綺麗な花達を忘れがちな季節!
「私もきれいに咲いたよ」って言ってるみたいね(*^_^*)

2013年03月23日
「マジックカット」は何故どこからでも切れるのか?
こんにちは。菊池建設の sugar です。
日頃から気になっていたことや、わからないままにしていたことを解明するシリーズ(?)である「日常の世迷言」ですが、今日も以前から気になっていたことについて、お話しします。
今日のテーマは「『マジックカット』は何故どこからでも切れるのか?」です。
弁当の中での醤油やお刺身のワサビのパッケージで「こちら側のどこからでも切れます」などと書かれているものがありますよね。
あれって開封用の切り込みがないのに切れるのは何故でしょうか?
これも以前から気になっていたことの一つです。
で、調べてみました。
旭化成パックスさんによると、「当社製の『マジックカット』という製品が『どこからでも切れる袋』です。袋にはノッチと呼ばれる切り込みを入れていませんが、袋の淵のシール部分に秘密があるのです。それはこの部分にローラーで0.2~0.3ミリの穴を開けていて、これが切り口の代わりになるんです。」ということらしいです。
お刺身用のワサビの袋などではなんと80%近いシェアを誇るそうです。
穴は1ミリ弱の間隔で1辺に約3×50列つまり150個もの穴が開いているのだそうです。
当初は特許を取っていたそうですが、今はライセンス契約によって他社でも製造できるんだとか。
国内だけでも年間の総売上は数百億円にもなるというから驚きです。
ちょっとしたアイディアが巨額の富を生むという典型ですね。

<たまにこのようにマジックカットなのに切り込みも入れてくれている親切なんだか、そうじゃないんだかよくわからない袋も存在します。>
しかし・・・
あの便利な「マジックカット」付きの袋なのに、しょっちゅう開けるのを失敗して手につけちゃったり、出したいお皿からはみ出しちゃったりする僕はとても不器用なんだと自覚する今日このごろです(笑)
あぁ、そうか。
上の写真みたいなのは、僕みたいな人向けなのかもなwww
(以上、 sugar こと 相川正也 でした。)
.
日頃から気になっていたことや、わからないままにしていたことを解明するシリーズ(?)である「日常の世迷言」ですが、今日も以前から気になっていたことについて、お話しします。
今日のテーマは「『マジックカット』は何故どこからでも切れるのか?」です。
弁当の中での醤油やお刺身のワサビのパッケージで「こちら側のどこからでも切れます」などと書かれているものがありますよね。
あれって開封用の切り込みがないのに切れるのは何故でしょうか?
これも以前から気になっていたことの一つです。
で、調べてみました。
旭化成パックスさんによると、「当社製の『マジックカット』という製品が『どこからでも切れる袋』です。袋にはノッチと呼ばれる切り込みを入れていませんが、袋の淵のシール部分に秘密があるのです。それはこの部分にローラーで0.2~0.3ミリの穴を開けていて、これが切り口の代わりになるんです。」ということらしいです。
お刺身用のワサビの袋などではなんと80%近いシェアを誇るそうです。
穴は1ミリ弱の間隔で1辺に約3×50列つまり150個もの穴が開いているのだそうです。
当初は特許を取っていたそうですが、今はライセンス契約によって他社でも製造できるんだとか。
国内だけでも年間の総売上は数百億円にもなるというから驚きです。
ちょっとしたアイディアが巨額の富を生むという典型ですね。

<たまにこのようにマジックカットなのに切り込みも入れてくれている親切なんだか、そうじゃないんだかよくわからない袋も存在します。>
しかし・・・
あの便利な「マジックカット」付きの袋なのに、しょっちゅう開けるのを失敗して手につけちゃったり、出したいお皿からはみ出しちゃったりする僕はとても不器用なんだと自覚する今日このごろです(笑)
あぁ、そうか。
上の写真みたいなのは、僕みたいな人向けなのかもなwww
(以上、 sugar こと 相川正也 でした。)
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2013年03月22日
ステンレス3兄弟

お昼ご飯事情が大きく変化しました。
小中高と給食で、大学時代はほぼ外食。
前職では当番制での自炊でした。
菊池建設に入社して、初めてのお弁当生活なのです。
欲しいお弁当箱がなかなか見つからなかったのですが、
昨日、2ヶ月に渡る旅に終止符が打たれました。
タイ製、ステンレスのお弁当箱。
蓋は両端からバチンバチンと力強く留められます。
水筒とコップは元々ステンレス製の物を使っていました。
期せずしてステンレス3兄弟の出来上がりです。
右上の細長い水筒は、プロダクトデザイナー秋田道夫氏によるもの。
以前ブログにてこの水筒について、
「使い倒されて傷がついてもかっこいい姿を思い描いて作った」
うろ覚えですがこのように書かれておりました。
こういう物づくりをしなきゃなあとお守りの様に使っています。
「いいものをつくってきちんと手入れして長く大切に使う」
これは長期優良住宅のお題目ですが、
住まいに限らず何事にも当てはまるのではないでしょうか。
毎日のお昼に、楽しみがひとつ増えました。
2013年03月21日
春うらら(*^_^*)
羽根だより(*^_^*)
花展に行ってきました♬
私も所属していますが、お休み中!!

お着物姿が師匠!
お隣は師匠の、師匠(亡くなられた)の妹さん!
春らしい花材がいっぱいで、
一緒に頑張ってたお友達にも会えて(*^_^*)

黄色っぽい花は・・・ダリア・・・!
新しい品種もたくさん出てきて、名前がわからない花もあって(´・_・`)
今週末は富士支部の花展
そちらも行ってみようと思ってます(^O^)
花展に行ってきました♬
私も所属していますが、お休み中!!

お着物姿が師匠!
お隣は師匠の、師匠(亡くなられた)の妹さん!
春らしい花材がいっぱいで、
一緒に頑張ってたお友達にも会えて(*^_^*)

黄色っぽい花は・・・ダリア・・・!
新しい品種もたくさん出てきて、名前がわからない花もあって(´・_・`)
今週末は富士支部の花展
そちらも行ってみようと思ってます(^O^)
2013年03月20日
木を好きになる_1
展示場へ来て下さったお客様から、
しばしば「木の香りがするね」と言って頂いております。
香りの正体はおそらく、
1階の居間と2階のこども部屋に張っている無垢床材です。
菊池建設オリジナルの、30ミリ厚。
香りだけではなく様々な面で、良い事づくしのお勧め床材ですが、
維持管理についてはお客様のご理解、ご協力が不可欠です。
また、温度や湿度の変化に応じて伸び縮みする為、
材料同士の隙間も若干ですが空いたり閉じたりします。
「檜造りの菊池建設」の営業として、
檜の良さ、木の良さをどの様に伝えられるかと思案していましたが、
まずは木を好きになってもらう必要があるのではと気づきました。
色々な「好き」がある事と思います。
例えば
「香りが好き・落ち着くから好き・色合いが好き」などの感覚的なものから、
「日本は森が多い・二酸化炭素を吸収してくれる」といった環境面での事、
木ならではの科学的な効能や構造材料としての性能を好む方がおれば、
「日本の建築といえば木でしょう」という方もいらっしゃるでしょう。
かくいう自分は、
建材屋で屋久杉の端材を買ってきてしまうような「好き」です。

何に使う訳でもなく、今は部屋の隅に置いてあります。
(つづく)
しばしば「木の香りがするね」と言って頂いております。
香りの正体はおそらく、
1階の居間と2階のこども部屋に張っている無垢床材です。
菊池建設オリジナルの、30ミリ厚。
香りだけではなく様々な面で、良い事づくしのお勧め床材ですが、
維持管理についてはお客様のご理解、ご協力が不可欠です。
また、温度や湿度の変化に応じて伸び縮みする為、
材料同士の隙間も若干ですが空いたり閉じたりします。
「檜造りの菊池建設」の営業として、
檜の良さ、木の良さをどの様に伝えられるかと思案していましたが、
まずは木を好きになってもらう必要があるのではと気づきました。
色々な「好き」がある事と思います。
例えば
「香りが好き・落ち着くから好き・色合いが好き」などの感覚的なものから、
「日本は森が多い・二酸化炭素を吸収してくれる」といった環境面での事、
木ならではの科学的な効能や構造材料としての性能を好む方がおれば、
「日本の建築といえば木でしょう」という方もいらっしゃるでしょう。
かくいう自分は、
建材屋で屋久杉の端材を買ってきてしまうような「好き」です。

何に使う訳でもなく、今は部屋の隅に置いてあります。
(つづく)
2013年03月17日
気づいたら(*^_^*)
羽根だより♪
3月始めころ・・・急にあったかな日がありましたね!
朝、カーテンを開けたら・・・庭のラッパ水仙が満開(*゚▽゚*)

残念なことに、写真は翌々日の雨上がり
雨に負けた水仙は倒れちゃっています!
もう少しあったかくなったら・・・レオっぴとお庭でBBQ(*^_^*)

3月始めころ・・・急にあったかな日がありましたね!
朝、カーテンを開けたら・・・庭のラッパ水仙が満開(*゚▽゚*)

残念なことに、写真は翌々日の雨上がり
雨に負けた水仙は倒れちゃっています!
もう少しあったかくなったら・・・レオっぴとお庭でBBQ(*^_^*)

2013年03月16日
願わくば・・・
こんにちは。菊池建設の sugar です。
今日はいつもの「日常の世迷言」をお休みして、3月中旬の今頃の季節になると毎年思い出す一首の和歌を取り上げたいと思います。
「願わくば 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ」
あまりにも有名な西行法師の和歌です。
西行の家集である「山家集」の花の歌群に入っているこの和歌は、西行が70歳の頃、詠んだものと言われています。
西行といえば、平清盛とは同い年で顔なじみであり、時の関白の藤原頼長も日記に、「あいつはいい男だ」と褒めていたくらいのイケメンだったようです。

<この画像を見る限り、とてもイケメンだったとは思えないが・・・(笑) >
ここで言う「如月」とは、言うまでもなく2月のことですが、この歌が詠まれた頃は旧暦ですから今の季節で言うとちょうど今、つまり3月の中旬から4月の上旬あたりだと思われます。
「花」と言えば、我が国の古典の世界では「桜」を指すのは常識ですし、「望月」とは「満月」のことですよね。
西行は先ほども触れたように、若い頃は男前で腕っぷしもあり、かなり女性との浮名を流したことでも有名ですが、ある時、世をはかなんで出家して僧になったと伝えられています。
実はこの出家の原因となった理由というのがなかなかにすごいんです。
彼は時の上皇(簡単に言うと「引退した元天皇」)であった鳥羽院の中宮(簡単に言うと奥さん)の「侍賢門院璋子」と、こころ通わせる仲だったらしいのですね。
そんな高貴な方とお付き合いしていたとは!
しかも、今で言う不倫じゃんか。
しかし、身分が違いますし(相手は上皇のお妃ですからね!)、そもそも不倫なのですから、いずれにしても叶わぬ恋です。
そこで世を儚んで出家したのだという話しが残っているのです。
いかにもモテ男だった西行らしい逸話です。
西行というとすごく昔の人のように思えますが(というか実際に昔の人なんですが)、俗名の「佐藤 義清(さとう のりきよ)」と言うとなんだか、現在でも生きていそうでなんか親近感が湧きいて来るから不思議です。
で、詠んだ和歌を見るととても人間臭い感じで好感が持てるんですよね。
さて、一方で熱心な仏教徒でもあった西行が詠んだのですから、この歌は一般的には以下のように意訳されることが多いように思います。
「願いが叶うことならば、春真っ盛りの桜の花が咲き誇る中それもできれば美しい満月の夜に、お釈迦様が心安らかに4月8日に入滅した(亡くなった)のと同じように、私もこころ平らかにあの世へ旅立ちたいものだなぁ・・・」と。
これはこれで合っているのかもしれませんが、実はもう一つの説があるんです。
それは、当時70歳だった西行が旅先で出会った35歳くらいの美しい女性に一目惚れして、年甲斐もないが抑えきれない胸の内を告白したところ、「自分は夫を亡くしたばかりの身ですぐには貴方と添い遂げることはできませんが、(夫の喪に服した後の)3年後の今日(旧暦2月の中旬)まで貴方のお気持ちが変わらないのであれば、この先にある阿弥陀仏をまつったお寺のお堂でお待ちしています。」という答えだったのを受けてこの歌を詠んだという説です。
「願いが叶うのであれば、花のように美しい(貴女という)人と春に逢瀬を重ねて死んでみたいものだ・・・・・。貴女の言う如月(旧暦2月)の望月(満月)のころに・・・」というわけです。
つまり、3年後の今日、約束の場に必ず行きます、という返事だったのですね。
そして、3年の月日が過ぎ、約束の日に約束の場で再会した二人は、互いの熱い気持ちを確かめ合い、後の人生を添い遂げたのだといいます。
なんだか人間臭い西行法師にはこちらの説の方がしっくり来ると思うのですが、いかがでしょうか。
あぁなんだか、昔の人ってロマンチックですよねー。
(以上、 sugar こと 相川正也 でした。)
.
今日はいつもの「日常の世迷言」をお休みして、3月中旬の今頃の季節になると毎年思い出す一首の和歌を取り上げたいと思います。
「願わくば 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ」
あまりにも有名な西行法師の和歌です。
西行の家集である「山家集」の花の歌群に入っているこの和歌は、西行が70歳の頃、詠んだものと言われています。
西行といえば、平清盛とは同い年で顔なじみであり、時の関白の藤原頼長も日記に、「あいつはいい男だ」と褒めていたくらいのイケメンだったようです。
<この画像を見る限り、とてもイケメンだったとは思えないが・・・(笑) >
ここで言う「如月」とは、言うまでもなく2月のことですが、この歌が詠まれた頃は旧暦ですから今の季節で言うとちょうど今、つまり3月の中旬から4月の上旬あたりだと思われます。
「花」と言えば、我が国の古典の世界では「桜」を指すのは常識ですし、「望月」とは「満月」のことですよね。
西行は先ほども触れたように、若い頃は男前で腕っぷしもあり、かなり女性との浮名を流したことでも有名ですが、ある時、世をはかなんで出家して僧になったと伝えられています。
実はこの出家の原因となった理由というのがなかなかにすごいんです。
彼は時の上皇(簡単に言うと「引退した元天皇」)であった鳥羽院の中宮(簡単に言うと奥さん)の「侍賢門院璋子」と、こころ通わせる仲だったらしいのですね。
そんな高貴な方とお付き合いしていたとは!
しかも、今で言う不倫じゃんか。
しかし、身分が違いますし(相手は上皇のお妃ですからね!)、そもそも不倫なのですから、いずれにしても叶わぬ恋です。
そこで世を儚んで出家したのだという話しが残っているのです。
いかにもモテ男だった西行らしい逸話です。
西行というとすごく昔の人のように思えますが(というか実際に昔の人なんですが)、俗名の「佐藤 義清(さとう のりきよ)」と言うとなんだか、現在でも生きていそうでなんか親近感が湧きいて来るから不思議です。
で、詠んだ和歌を見るととても人間臭い感じで好感が持てるんですよね。
さて、一方で熱心な仏教徒でもあった西行が詠んだのですから、この歌は一般的には以下のように意訳されることが多いように思います。
「願いが叶うことならば、春真っ盛りの桜の花が咲き誇る中それもできれば美しい満月の夜に、お釈迦様が心安らかに4月8日に入滅した(亡くなった)のと同じように、私もこころ平らかにあの世へ旅立ちたいものだなぁ・・・」と。
これはこれで合っているのかもしれませんが、実はもう一つの説があるんです。
それは、当時70歳だった西行が旅先で出会った35歳くらいの美しい女性に一目惚れして、年甲斐もないが抑えきれない胸の内を告白したところ、「自分は夫を亡くしたばかりの身ですぐには貴方と添い遂げることはできませんが、(夫の喪に服した後の)3年後の今日(旧暦2月の中旬)まで貴方のお気持ちが変わらないのであれば、この先にある阿弥陀仏をまつったお寺のお堂でお待ちしています。」という答えだったのを受けてこの歌を詠んだという説です。
「願いが叶うのであれば、花のように美しい(貴女という)人と春に逢瀬を重ねて死んでみたいものだ・・・・・。貴女の言う如月(旧暦2月)の望月(満月)のころに・・・」というわけです。
つまり、3年後の今日、約束の場に必ず行きます、という返事だったのですね。
そして、3年の月日が過ぎ、約束の日に約束の場で再会した二人は、互いの熱い気持ちを確かめ合い、後の人生を添い遂げたのだといいます。
なんだか人間臭い西行法師にはこちらの説の方がしっくり来ると思うのですが、いかがでしょうか。
あぁなんだか、昔の人ってロマンチックですよねー。
(以上、 sugar こと 相川正也 でした。)
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