2011年08月26日

建築用語に関わる「ことわざ」 その2

こんにちは!菊池建設の sugar こと、相川正也です。

先日に引き続き、建築用語に関連したことわざを紹介してみたいと思います。

・ 起きて半畳寝て一畳、天下取っても二合半

人はどんなに偉くなろうとも、起きて座って何かを読んだり書いたりするには半畳あれば済むし、寝る場合でも一畳あれば事足りるし、たとえ天下人となったとしても一食に一度に食べられる飯は二合半が限度といったところであるという意味。
つまり、富貴ばかりを追い求めるものではなく、清貧にこそ価値はあるということ。

確かに言われてみれば、その通りですよね。
決して、おごり高ぶってはいけないよ!という戒めの言葉としても受けとめられますね。
  類義:「千畳敷に寝ても畳一枚」



・ 四角な座敷を丸く掃く
四角い座敷を細かい所まで注意しないで、真ん中だけを丸く掃くようないい加減なやり方では、部屋の4隅に、ほこりを 残したままとなり、十分な掃除ができていない、ということから生まれたことわざです。
楽をしようと考え、なまけ心で仕事をしても、いい仕事はできませんよ、物事には真剣に取り組まねばいけません!という意味が含まれているようです。

あは、耳が痛いです。


・ 家売れば釘の価(あたい)

家というものは新築すれば大きな費用がかかるが、古くなって売る段になるとすっかり足元を見られて、古釘の値程度に値切られるもので、捨て値で売る事になるということ。
当時の「和釘」は頭が写真のように四角かったのですが、これが非常に貴重だったそうです。
ですから、このことわざは、その「和釘」がそれほど貴重な代物なんだという意味なのか?
それとも、古くから日本では新築が尊ばれてきたという反映なのでしょうか?
はたまた、だから家は古くても大切に使え!という戒めなのでしょうか?
どれともとれることわざですね。


・ 葦の髄から天井を覗く

葦(あし)は、語感として「悪し」に通じるため、縁起を担いで「よし」とも言います。
すすきに似たイネ科の植物で、茎がストローのように中空になっています。日よけの葦簀(よしず)で知られていますよね。
それとも、哲学者パスカルの「人間は考える葦である。」の方をイメージしましたか?
そのあしの細い茎の中心部の穴を通して、 天井を下から覗き、天井の全てを見たような気になってしまうことから生まれたことわざです。
自分だけの判断でコトの良し悪しを軽々しく決めるのではなく、広く外の意見も聞いて、大局的に物事を見るようにしなさい!という意味です。
類義:「井の中の蛙(かわず)、大海を知らず」

余談ですが、上記類義のことわざを書いていたら、ふと井伏鱒二の「山椒魚」という短編小説を連想してしまいました。
この「井の中の・・・」の蛙に似た山椒魚がこっけいなんですが、哀れで印象に残っています。
教科書にも載っていた名作短編の一つですが、後年、作者の井伏鱒二は、この小説のしめくくり部分で、ある文章をバッサリと削除して再発表したため、文壇で賛否両論の意見が飛び交ったことがありましたねぇ。

一度発表した作品は既に成立しているものだから、それを作者本人とはいえ、後からいじるのは作家の風上にも置けん!という過激な意見があるかと思えば、作者本人の井伏の「だってあのままだとあの山椒魚は外に出られなくて可哀想なんだもん」という、いたくかわいこぶりっこな主張に同調する作家も出て来て、にぎやかな論争にまで発展したんだったな・・・なんてことを思い出しました。
最近、そういう文学的な論争って、あまり聞かないですよね。

あらら、ずいぶんと脱線してしまいました。

それでは、また!
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Posted by スタッフブログ『ひのき同好会』 at 16:44Comments(0)sugar