2011年07月10日
夏のボディガード

お気に入りの蚊取りぶたさん!今年の夏もフル稼働してます。
見た目はブタでも、営業ワン「レオ」のボディガード

はじめまして、営業ワンの「レオ」です。
英国ゴールデン 男の子 12歳 ウェーブヘアがチャームポイント
こ~んな顔して実はもうおじいちゃんですが・・・なにか

これから何度も登場すると思いますのでよろしくね!!
2011年07月10日
ベビーラッシュですが・・・
我が家はベビーラッシュですが・・・ << ゴウ >>
菊池建設スタッフブログに初めてのアップのゴウです。これから機会を見て家づくりに限らず、
日常の出来事をお伝えしていきたいと思いますので、よろしくお願いします。
今回は、「 我が家はベビーラッシュですが・・・」 と言っても我が家の熱帯魚のお話です。
只今、我が家の熱帯魚 エンドラーズ・ライブベアラー、アカヒレ、プラティー、白めだか、
黒メダカ、ヒメダカが仔魚(生まれたて稚魚)や卵を産みすごいことになってきました。
今日は屋外でほったらかし飼育?のメダカたちのお話です。
水槽は、2個 白メダカのスイレン鉢

この白メダカたちの卵から孵った仔魚たちです。40 ~ 50匹はいて増殖中です。

もう1つが問題の黒メダカとヒメダカのコンテナ水槽

アナカリスのジャングルを泳いでいる仔魚をレンゲで掬って飼育ネットに隔離

こちらも30 ~ 40匹はいて増殖中!
でも、問題とは、このコンテナ水槽には、ヒメダカ3匹、黒メダカ10匹がいて、ともに昨年の
猛暑と1cm はあろうかという真冬の氷をのりっきた兵たちでした。ことの始まりは先月の29日に、
ヒメダカ3匹ではかわいそうとヒメダカ10匹を熱帯魚店で購入、トリートメントをせず水合わせをして、
水槽に投入。コンテナ水槽もにぎやかになったと思ったのもつかの間、数日後、1匹、2匹と☆になっていゆくではありませんか。絶妙なバランスの取れていたコンテナ水槽の環境を見事に崩してしまいました。
あわや全滅の危機!
様子のおかしなメダカの隔離と塩水浴と水換えを繰返し、全滅の危機は何とか避けられそう?な様子です。
あいつらがんばったんだけどなー (-_-)
幸いに、仔魚たちは元気で、それがせめてもの救いです。
ベビーラッシュからおかしな話になってしまいましたが、今後もこんな身の回りの話をアップしてゆきますのでよろしくお願いします。
ゴウ でした。
菊池建設スタッフブログに初めてのアップのゴウです。これから機会を見て家づくりに限らず、
日常の出来事をお伝えしていきたいと思いますので、よろしくお願いします。
今回は、「 我が家はベビーラッシュですが・・・」 と言っても我が家の熱帯魚のお話です。
只今、我が家の熱帯魚 エンドラーズ・ライブベアラー、アカヒレ、プラティー、白めだか、
黒メダカ、ヒメダカが仔魚(生まれたて稚魚)や卵を産みすごいことになってきました。
今日は屋外でほったらかし飼育?のメダカたちのお話です。
水槽は、2個 白メダカのスイレン鉢

この白メダカたちの卵から孵った仔魚たちです。40 ~ 50匹はいて増殖中です。

もう1つが問題の黒メダカとヒメダカのコンテナ水槽

アナカリスのジャングルを泳いでいる仔魚をレンゲで掬って飼育ネットに隔離

こちらも30 ~ 40匹はいて増殖中!
でも、問題とは、このコンテナ水槽には、ヒメダカ3匹、黒メダカ10匹がいて、ともに昨年の
猛暑と1cm はあろうかという真冬の氷をのりっきた兵たちでした。ことの始まりは先月の29日に、
ヒメダカ3匹ではかわいそうとヒメダカ10匹を熱帯魚店で購入、トリートメントをせず水合わせをして、
水槽に投入。コンテナ水槽もにぎやかになったと思ったのもつかの間、数日後、1匹、2匹と☆になっていゆくではありませんか。絶妙なバランスの取れていたコンテナ水槽の環境を見事に崩してしまいました。
あわや全滅の危機!
様子のおかしなメダカの隔離と塩水浴と水換えを繰返し、全滅の危機は何とか避けられそう?な様子です。
あいつらがんばったんだけどなー (-_-)
幸いに、仔魚たちは元気で、それがせめてもの救いです。
ベビーラッシュからおかしな話になってしまいましたが、今後もこんな身の回りの話をアップしてゆきますのでよろしくお願いします。
ゴウ でした。
2011年07月10日
東日本大震災から4ヶ月
こんにちは、「趣味:人間観察」です。
先日こんな葉書きが届きました。

私は学生時代に東北は仙台に4年間住んでいました。その為4ヶ月前の東日本大震災の際には、驚き、心配し、焦り、そして安堵しました。幸いにして私の友人・知人の中には、亡くなられている方はいなかったので安堵することが出来ましたが、やはり被災した方がいらっしゃいました。その時は、心配し連絡も取っていましたが、亡くなっている人が自分の友人にはいなかった為、4ヶ月たったほとんど連絡を取っていませんでした。
そこにこの葉書きが届きました。よくTVなどで被災者の方々が「忘れられることが心配。」とおっしゃっていたことを思い出し、反省しました。自分では忘れることはありえないと、災害当時は思っていましたが、まだ4ヶ月という短い期間でも頭から離れてしまう事があったことに申し訳ない気持ちになりました。
葉書きを書く際に友人に連絡を久しぶりにしました。友人は「生活は通常に戻りつつあるが、ふとした瞬間に恐怖に襲われる。」と言っていました。特に彼は一人暮らしをしているので余計に感じているようですが、こんな風に感じている方々はたくさんいるのだと思います。私に出来ることは、正直あまり無いと思っていました。しかし友人・知人に連絡を取り、忘れていないこと、一人ではないことを伝えていくことぐらいは出来るので、少しずつでもやっていき、継続して出来ることをやっていこうと思いました。
最後に今回の震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
先日こんな葉書きが届きました。

私は学生時代に東北は仙台に4年間住んでいました。その為4ヶ月前の東日本大震災の際には、驚き、心配し、焦り、そして安堵しました。幸いにして私の友人・知人の中には、亡くなられている方はいなかったので安堵することが出来ましたが、やはり被災した方がいらっしゃいました。その時は、心配し連絡も取っていましたが、亡くなっている人が自分の友人にはいなかった為、4ヶ月たったほとんど連絡を取っていませんでした。
そこにこの葉書きが届きました。よくTVなどで被災者の方々が「忘れられることが心配。」とおっしゃっていたことを思い出し、反省しました。自分では忘れることはありえないと、災害当時は思っていましたが、まだ4ヶ月という短い期間でも頭から離れてしまう事があったことに申し訳ない気持ちになりました。
葉書きを書く際に友人に連絡を久しぶりにしました。友人は「生活は通常に戻りつつあるが、ふとした瞬間に恐怖に襲われる。」と言っていました。特に彼は一人暮らしをしているので余計に感じているようですが、こんな風に感じている方々はたくさんいるのだと思います。私に出来ることは、正直あまり無いと思っていました。しかし友人・知人に連絡を取り、忘れていないこと、一人ではないことを伝えていくことぐらいは出来るので、少しずつでもやっていき、継続して出来ることをやっていこうと思いました。
最後に今回の震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。