2015年01月12日
割り箸を使っていますか?
こんにちは。菊池建設の sugar です。
日頃から気になっていたことや、わからないままにしていたことを解明するシリーズ(?)である「日常の世迷言」ですが、今日も以前から気になっていたことについて、お話しします。
今日は「割り箸」についてです。

以前、一部で「割り箸を使うのは資源の無駄だ。」という意見が出たことがあります。
しばし、論議を呼んだので記憶されている方も多いでしょう。
上記の意見を説く方は、「割り箸を作るには当たり前だが、大量の木材が必要であり、そのための木材を確保するために樹木をいたずらに切り倒すのは資源の無駄使いに他ならない。」という主張でした。

ところがこのご意見には、「ちょっと待ったぁー!」と申し上げたいのです。
環境保護の問題というのは簡単なものではありません。
様々な要素が絡み合っているので、非常に複合的な状況です。
一方で、資源確保の問題というのも、これまた実に複雑な要素が絡み合っていると言えます。
ですから、環境保護の問題と資源確保の問題を考えるときには、これらが絶対的なものではなくいつも相対的なものだということを念頭において考える必要があるのです。
上記の「割り箸」の例で見てみましょう。
以前、沖縄の小学校で給食の時間に積極的に紙皿と割り箸を使ったことがありました。
それはその時期沖縄はひどい水不足だったからです。
つまり、食器や箸を洗う水が不足して節約する必要があったのです。

しかし、一方で使い捨ての割り箸や紙皿は資源の無駄ではないか?という意見も起こりました。
さて、木や紙と水とで、いったいどちらを節約したらよいのか・・・?
確かに、資源の無駄遣いは避けるべきです。
「自分は割り箸は一切使わないことに決めた!」と言って、それを実践している人がいたとすれば、それはそれで立派なことかもしれない。
しかし、その人は割り箸の代わりにいったい何を使うのでしょうか?
まさか手掴みで食事するわけではないでしょうから、たぶん塗り箸かスプーンなのでしょう。
では、もしそうだとしたら、食事が終わった後、その塗り箸なりスプーンを洗剤を使って洗うことになります。
細かいようですが、その水の量は無駄ではないのか?
また、洗剤を使うのであれば、それによる環境汚染をどう考えるのか?
環境を守るために割り箸を使わないことが、かえって水を大量に使うことにならないか?
場合によっては、洗剤での環境汚染に加担していることになっていないか?
こういう具合に、常に断片的にではなく総合的にモノゴトを考えることが重要だということなのです。
だから別に「割り箸を大量に使いましょう!」ということを言いたいわけではありません。
要するに、木と紙と水はどれが大事なのか、ということはその時の状況次第、つまりT.P.O.を考えて判断するべきだと思うのです。
片方を止めれば、一方が必要になるのですから。
ですから、今までと違った観点を持つことも大切です。
例えば、割り箸を使ったら、使用後のそれらを集めて積極的に再利用つまりリサイクルしていくことも考える、という思考法が大切なのではないでしょうか。
使うことを止めるモノとその代替となるモノとのバランスを常に考えていないと非常に偏った考え方になってしまう、ということがご理解いただけたかと思います。
ま、いずれにしても、「無駄を省く(省エネ)」というコトはこれからも大きな課題となって、我々の前に立ちはだかっていくことでしょう。
将来、地球を背負って立つ子供たちのためにも、我々大人が真剣に考えて行かなければならない問題であることだけは間違いないところですね。
※ 「エコマテリアルとしての木材」 著:有馬高禮 より一部参照
(以上、 sugar こと 相川正也 でした。)
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日頃から気になっていたことや、わからないままにしていたことを解明するシリーズ(?)である「日常の世迷言」ですが、今日も以前から気になっていたことについて、お話しします。
今日は「割り箸」についてです。

以前、一部で「割り箸を使うのは資源の無駄だ。」という意見が出たことがあります。
しばし、論議を呼んだので記憶されている方も多いでしょう。
上記の意見を説く方は、「割り箸を作るには当たり前だが、大量の木材が必要であり、そのための木材を確保するために樹木をいたずらに切り倒すのは資源の無駄使いに他ならない。」という主張でした。

ところがこのご意見には、「ちょっと待ったぁー!」と申し上げたいのです。
環境保護の問題というのは簡単なものではありません。
様々な要素が絡み合っているので、非常に複合的な状況です。
一方で、資源確保の問題というのも、これまた実に複雑な要素が絡み合っていると言えます。
ですから、環境保護の問題と資源確保の問題を考えるときには、これらが絶対的なものではなくいつも相対的なものだということを念頭において考える必要があるのです。
上記の「割り箸」の例で見てみましょう。
以前、沖縄の小学校で給食の時間に積極的に紙皿と割り箸を使ったことがありました。
それはその時期沖縄はひどい水不足だったからです。
つまり、食器や箸を洗う水が不足して節約する必要があったのです。

しかし、一方で使い捨ての割り箸や紙皿は資源の無駄ではないか?という意見も起こりました。
さて、木や紙と水とで、いったいどちらを節約したらよいのか・・・?
確かに、資源の無駄遣いは避けるべきです。
「自分は割り箸は一切使わないことに決めた!」と言って、それを実践している人がいたとすれば、それはそれで立派なことかもしれない。
しかし、その人は割り箸の代わりにいったい何を使うのでしょうか?
まさか手掴みで食事するわけではないでしょうから、たぶん塗り箸かスプーンなのでしょう。
では、もしそうだとしたら、食事が終わった後、その塗り箸なりスプーンを洗剤を使って洗うことになります。
細かいようですが、その水の量は無駄ではないのか?
また、洗剤を使うのであれば、それによる環境汚染をどう考えるのか?
環境を守るために割り箸を使わないことが、かえって水を大量に使うことにならないか?
場合によっては、洗剤での環境汚染に加担していることになっていないか?
こういう具合に、常に断片的にではなく総合的にモノゴトを考えることが重要だということなのです。
だから別に「割り箸を大量に使いましょう!」ということを言いたいわけではありません。
要するに、木と紙と水はどれが大事なのか、ということはその時の状況次第、つまりT.P.O.を考えて判断するべきだと思うのです。
片方を止めれば、一方が必要になるのですから。
ですから、今までと違った観点を持つことも大切です。
例えば、割り箸を使ったら、使用後のそれらを集めて積極的に再利用つまりリサイクルしていくことも考える、という思考法が大切なのではないでしょうか。
使うことを止めるモノとその代替となるモノとのバランスを常に考えていないと非常に偏った考え方になってしまう、ということがご理解いただけたかと思います。
ま、いずれにしても、「無駄を省く(省エネ)」というコトはこれからも大きな課題となって、我々の前に立ちはだかっていくことでしょう。
将来、地球を背負って立つ子供たちのためにも、我々大人が真剣に考えて行かなければならない問題であることだけは間違いないところですね。
※ 「エコマテリアルとしての木材」 著:有馬高禮 より一部参照
(以上、 sugar こと 相川正也 でした。)
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Posted by スタッフブログ『ひのき同好会』 at 21:54│Comments(0)
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