2012年07月20日
草薙の剣
こんにちは。 菊池建設の sugar です。
日ごろから気になっていたことや、わからないままにしていたことを解明するシリーズ(?)「日常の世迷言」ですが、今日は以前から気になっていた「スサノオのヤマタノオロチ退治」についてお話しします。
みなさんは日本で最も古い書物と言えばなにかご存知でしょうか?
そうです。『古事記』ですね。
これは稗田阿礼(ひえだのあれ)が誦習していた『帝皇日継』(天皇の系譜)と『先代旧辞』(古い伝承)を太安万侶(おおのやすまろ)が書き記し、編集して天武天皇に献上したものと伝えられています。
天武天皇といえば、あの「大化の改新」で有名な中大兄皇子=なかのおおえのおうじ(後の天智天皇)の弟です。
その天武天皇は7世紀後半の方ですが、この『古事記』が完成したのは8世紀前半と言われています。
さて、この『古事記』。
上記したように、天皇の系譜と古い伝承を記録したものなのですが、この中には天皇の家系は神々に通じ、その多種多様な神々はどのようにして生まれ、どのようなことをされて来たのかが克明に書かれています。
その中で、今でも語り継がれている多くの伝承があるのですが、その中で『草薙の剣』が初めてこの世に登場する言い伝えがあります。
そもそも、この『草薙の剣』とは何かというと・・・
天皇家に伝わる宝物に、皇位継承の証となる「三種の神器」というのがあります。
これは、天孫降臨の時に、天照大神(アマテラス)から授けられたという鏡・剣・玉を指し、日本の歴代天皇が継承してきた三種の宝物です。
いわば、この3つの宝物を持っていれば、天皇が天皇であるという証明になるという、極めて尊いものなのです。
この三種の宝物とは、『八咫鏡(やたのかがみ)』・『八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)』・『天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)=「草薙の剣」』のことを言います。
この中の『草薙の剣』にスポットを当ててみたいと思います。
いったいこの剣はどこから出て来たものなのでしょうか?

< ヤマタノオロチ退治伝説 >
ある日、スサノオ(アマテラスの弟で激しい性格の嵐の神)が、出雲(いずも)の地に降り、泣いている老夫婦に出会った。
どうして泣いているのか?と問うと、老夫婦の話によれば、娘が8人いましたが、毎年ひとりづつ、8つの頭と8つの尾をもつヤマタノオロチという大蛇に呑まれ、今年は、最後の娘、櫛名田比売(クシナダ姫)を生贄に出さねばならない番だと言う。
するとスサノオは、8つの桶に酒を入れ、大蛇が酒に酔って寝たところを十拳剣(トツカノツルギ)で斬り捨て、退治した。
大蛇の尾を切り刻んだときに固い物に当たって、十拳剣の刃が欠けた。
不思議に思って切り開いてみると、見事な剣が出て来た。
これを「草薙の剣」、また「天の叢雲の剣(あめのむらくものつるぎ)」ともいい、アマテラスに献上したのだった。 ・・・ というものです。
そうです。これが『草薙の剣』の出所というか由縁なのです。
そうか。あのヤマタノオロチを退治した時に見つけたのが『草薙の剣』だったのですなぁー!!
ロマンだなぁ。
しかし、この話しには裏があります。
その話しはまた別の機会に・・・
(以上、 sugar こと 相川正也 でした。)
.
日ごろから気になっていたことや、わからないままにしていたことを解明するシリーズ(?)「日常の世迷言」ですが、今日は以前から気になっていた「スサノオのヤマタノオロチ退治」についてお話しします。
みなさんは日本で最も古い書物と言えばなにかご存知でしょうか?
そうです。『古事記』ですね。
これは稗田阿礼(ひえだのあれ)が誦習していた『帝皇日継』(天皇の系譜)と『先代旧辞』(古い伝承)を太安万侶(おおのやすまろ)が書き記し、編集して天武天皇に献上したものと伝えられています。
天武天皇といえば、あの「大化の改新」で有名な中大兄皇子=なかのおおえのおうじ(後の天智天皇)の弟です。
その天武天皇は7世紀後半の方ですが、この『古事記』が完成したのは8世紀前半と言われています。
さて、この『古事記』。
上記したように、天皇の系譜と古い伝承を記録したものなのですが、この中には天皇の家系は神々に通じ、その多種多様な神々はどのようにして生まれ、どのようなことをされて来たのかが克明に書かれています。
その中で、今でも語り継がれている多くの伝承があるのですが、その中で『草薙の剣』が初めてこの世に登場する言い伝えがあります。
そもそも、この『草薙の剣』とは何かというと・・・
天皇家に伝わる宝物に、皇位継承の証となる「三種の神器」というのがあります。
これは、天孫降臨の時に、天照大神(アマテラス)から授けられたという鏡・剣・玉を指し、日本の歴代天皇が継承してきた三種の宝物です。
いわば、この3つの宝物を持っていれば、天皇が天皇であるという証明になるという、極めて尊いものなのです。
この三種の宝物とは、『八咫鏡(やたのかがみ)』・『八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)』・『天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)=「草薙の剣」』のことを言います。
この中の『草薙の剣』にスポットを当ててみたいと思います。
いったいこの剣はどこから出て来たものなのでしょうか?

< ヤマタノオロチ退治伝説 >
ある日、スサノオ(アマテラスの弟で激しい性格の嵐の神)が、出雲(いずも)の地に降り、泣いている老夫婦に出会った。
どうして泣いているのか?と問うと、老夫婦の話によれば、娘が8人いましたが、毎年ひとりづつ、8つの頭と8つの尾をもつヤマタノオロチという大蛇に呑まれ、今年は、最後の娘、櫛名田比売(クシナダ姫)を生贄に出さねばならない番だと言う。
するとスサノオは、8つの桶に酒を入れ、大蛇が酒に酔って寝たところを十拳剣(トツカノツルギ)で斬り捨て、退治した。
大蛇の尾を切り刻んだときに固い物に当たって、十拳剣の刃が欠けた。
不思議に思って切り開いてみると、見事な剣が出て来た。
これを「草薙の剣」、また「天の叢雲の剣(あめのむらくものつるぎ)」ともいい、アマテラスに献上したのだった。 ・・・ というものです。
そうです。これが『草薙の剣』の出所というか由縁なのです。
そうか。あのヤマタノオロチを退治した時に見つけたのが『草薙の剣』だったのですなぁー!!
ロマンだなぁ。
しかし、この話しには裏があります。
その話しはまた別の機会に・・・
(以上、 sugar こと 相川正也 でした。)
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