2012年07月31日

誤解していた歴史~天智天皇

こんにちは。 菊池建設の sugar です。


日頃から気になっていたことや、わからないままにしていたことを解明するシリーズ(?)である「日常の世迷言」ですが、今日は誰もが知っている「天智天皇」について、お話しします。


あなたは、「天智天皇」という名前を聞いたら、何を思い浮かべますか?

あまりにも有名な、645年の「大化の改新」でしょうか?

それとも詳しい記録が残っているという意味では日本で初めての他国との戦争である「白村江(はくすきのえ)の戦い」でしょうか?

はたまたその後の天智天皇の後の皇位をめぐる戦いである「壬申の乱(じんしんのらん)」でしょうか?




ご存知の方が多いと思いますが、この「天智天皇」とは天皇になる前、つまり皇太子の頃は「中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)」と呼ばれていました。
そうです。
あの有名な「大化の改新」の立て役者です。
つまり、中臣鎌足らと謀って、あの当時最大で最強の豪族であった「蘇我氏」を打ち破り、その後様々な改革を行ったという「大化の改新」の中心人物が中大兄皇子その人なのです。

その後、中大兄皇子は、天皇位に就いて、その後「天智天皇」と呼ばれるようになるわけです。




 < 天智天皇 >


この方のことを書く前にまず、天皇の「諡号(しごう)」についてお話ししておかなければなりません。
「諡号」とは、「おくりな」とも言い、辞書によれば、「主に帝王・相国などの貴人の死後に奉る、生前の事績への評価に基づく名のこと。「諡」の訓読み「おくりな」は「贈り名」を意味する。」ということです。

つまり、「天智天皇」に限りませんが、歴代の天皇の名前は、その当時はそう呼ばれていたのではなく、後世の人が前記のように、その方の威徳や業績を称えて贈った名前であるというわけです。

最近では、「明治天皇」や「大正天皇」、「昭和天皇」というように、その天皇が在位したときの年号が付けられることが多くなりましたが、昔はそうではなかったのです。

では、その当時には時の天皇をどうお呼びしていたか?といえば、その時は天皇は原則として一世代に一人しかいないのですから、「天皇」「お上」または「帝(みかど)」と呼ばれていたのです。


さて、本題の「天智天皇」についてですが、私はご多分に漏れず、「大化の改新」をした方・・・くらいにしか思っていませんでした。
そして、字面からなんとなくですが、いいイメージを持っていました。

ところが、最近の研究でこの「天智」という諡号はとんでもない名前であることが分かってきたのです。


それは一言で言えば「とんでもない悪王であった」・・・ということです。

もちろん、最も尊い方(=天皇)の諡号ですから、あからさまにそんなことは言えません。
この諡号は、この頃の代々の天皇の漢風諡号と同様に、奈良時代に淡海三船(おうみのみふね)によって撰進されたものですが、一見良い字で構成しながら、一方で実は「悪王であった」ということがわかるような工夫をしていたと思われるのです。


それは・・・

長くなりそうなので、次回に詳述しますね。




今日はこの辺で・・・




(以上、 sugar こと 相川正也 でした。)
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Posted by スタッフブログ『ひのき同好会』 at 23:59Comments(1)sugar

2012年07月30日

今年は行けそう!!??

こんにちは、「趣味:人間観察」です。

毎年8/7は藤枝市にある蓮花寺池で花火大会が開催されます。



地元の私は、毎年友人宅で真上に上がる花火を観ながら、ビールを飲むってのをかれこれ20年ぐらいやらせていただいています。
最初は友人3人だけでしたが今では、メンバーも大幅に増えて、ホストファミリーにはご迷惑をお掛けしています。

でもメンバーに奥様が増え、お子さんが増えていくのは、うれしいことですね。

ただ心配事がひとつ!
今年我が家の3歳児がデビュー予定なんですが、この怪獣2号、大きい音が大嫌い!ときてまして、T.D.Lではショーの間中、泣き叫んでいた経歴の持ち主。

一緒にいったはいいが、すぐに帰るってことにならぬか心配です。  

Posted by スタッフブログ『ひのき同好会』 at 20:03Comments(4)趣味:人間観察

2012年07月29日

TVの優先権。。。

こんにちは、「趣味:人間観察」です。

みなさんのお宅ではTVの視聴の優先権はどなたにありますか?
私の家では、ほぼ最下位に私がランキングされていますface07


なぜか。。。


威厳がないから!     


それもありますが、それだけではないようです。


私の両親と姉は、大のスポーツ好きで、実家でのTVの優先権は「誰」ではなく、「スポーツ」優先!だったんです。私も6歳上の姉もどんなスポーツにも関心がありましたから、特に不平不満を持ったこともなく、歌番組やバラエティーよりもプロ野球やゴルフ、バレーボールなんかを観てました。

もちろん先日開幕したオリンピックや、箱根駅伝、ウィンブルドンテニス、高校サッカー選手権なんかだと、一日中TVがついていたと思います。

その影響か、ただのサッカー好きなのかはわかりませんが、とにかくTVをつけてスポーツがやっていると今でもそこにチャンネルを合わせて観てしまいます(最近TVでスポーツが少なくなってきましたが)。

そうすると私はほとんど他の会話が頭に入ってこなくなってしまうようです。特に大好きなサッカーを観ていると、子供たちからの話しかけられても
「ふ~~~ん、そう、良かったね。」
と気のない返事をしてしまいます。酷いときは返事もしないらしく、よく怒られていました。

それが何回か続いたために、ついに6歳の娘と3歳の息子が協力しあい、私がサッカーを観始めるとTVを消すようになってしまいましたface19

消されてしまうので、私がまたつけようとリモコンを探すのですが、一人が消すと同時にもう一人がリモコンを持って逃げ出すんです!それを追っかけると、その行為が面白くなってくるようで、どんどん笑いながら逃げていくので、もう収集がつかなくなるんです。
そうなると子供たちが悪ふざけをし始めるので、奥さんがイライラし始める。

子供たちに注意はするものの、原因は私のTVって顔して私を見るのです。

いつの日か私にはTVの優先権は剥奪されるようになっていきました。。。。。


最近はHDに録画が出来るようになったので、夜中にこっそり観たりするんですが、スポーツほど録画が面白くないものもないので、なんとなく全部見ないで終わってしまう事が多いですね。

えっっ、他のTVで観ればいいじゃん!? そんな言葉が聞こえてきそうですが、他のTVで観ていたって話を聞かないのは同じなので、怪獣2人組に襲われてしまいます。


ながい愚痴ですみませんでした。みなさんはそんなことないですよね~~~




愚痴っぽいので、少しだけ旬な話題を。


今夜ロンドンオリンピックのサッカー男子代表がモロッコと対戦するセント・ジェームズ・パークってこんな近代的なスタジアムなんですよ。


プレミアリーグの名門ニューキャッスル ユナイデットのホームスタジアムです。



今回のロンドンオリンピックは、さすがに歴史のある国だけあって、サッカーの試合会場がこんなすばらしいスタジアムだったり、テニスはウィンブルドンが会場だったりと、観るものをわくわくさせてくれますね。



そんな説明をしながら、子供たちにこの面白さを伝授し、私の平和なTVライフを取り戻そうと思っています。

  

Posted by スタッフブログ『ひのき同好会』 at 14:05Comments(4)趣味:人間観察

2012年07月29日

完成見学会開催中(^^)v

掛川の家¦

完成見学会OPEN中

今日も暑さに負けずお待ちしています。



詳しくは、054-258-9214
  

Posted by スタッフブログ『ひのき同好会』 at 10:40Comments(0)羽根だより

2012年07月28日

脱け殻

羽根だよりicon01

今朝、庭で見つけました。

  

Posted by スタッフブログ『ひのき同好会』 at 13:33Comments(0)羽根だより

2012年07月25日

イベント開催中(^-^)

静岡南郵便局に来ています。

夏休みちびっこ おえかきコンクール の告知活動をしています。



中年のイケメン2名と3人でおえかき用紙と
檜のかおり袋・ポケットティッシュを配っています。

お近くの方は是非お立ち寄い下さい。



  

Posted by スタッフブログ『ひのき同好会』 at 13:02Comments(0)

2012年07月24日

新東名 静岡SA ガンダムショップ

こんにちは、「趣味:人間観察」です。

いつもコメントをくださるMichanさんやヒゲ院長さんが数日前に、ご自身のブログで、新静岡SAのガンダムショップの話をされていたので、私もうらやましくなり、たまたま仕事で近くの製材所に用事がありましたので、ぷらっとパークから、ガンダムショップへ行ってきました。

こちらがぷらっとパーク静岡SA下り線入口です。 

なんかシンプル。。。。。

本線側の入口がこれ!

なにか派手さが違いますね。

皆さんが写真をアップされていますが、私もガンダムを撮ってみました。

なかなか暗さがそれっぽくていい感じでした。
買いたいものはたくさんありましたが、今回は手持ちが寂しかったので特に購入もしませんでした。
個人的にはSWANSのサングラスが欲しくなりました。


ぷらっとパークなので一旦一般道に出て静岡SAの上り線にも行けました。
こっちにはこんなものが。。。。


同じスケールのガンダムがありましたが、ショップ自体は自動販売機のみ!他のグッズは買えなさそうでしたね。

また今度はお金を持って行こうと思います。。。  

Posted by スタッフブログ『ひのき同好会』 at 18:33Comments(4)趣味:人間観察

2012年07月23日

料理教室(*^_^*)

羽根だよりicon01

先日、仕事で「料理教室」を開催しましたい!
自宅で手軽にできる「懐石料理」です。

おだしのとりかた・・・カツオのたたき・・・簡単味付けetc
写真がないのが残念です・・・!

代わりに私の簡単料理face14



ある日の夕飯・・・って言ってもつまみですがface15

料理とは言い難い・・・茹でただけface07  

Posted by スタッフブログ『ひのき同好会』 at 18:42Comments(2)羽根だより

2012年07月22日

日本人はどこから来たか? その2

こんにちは。 菊池建設の sugar です。


日ごろから気になっていたことや、わからないままにしていたことを解明するシリーズ(?)「日常の世迷言」ですが、今日は昨日書きました「日本人はどこから来たか?」について、その続きをお話しします。

そして、これは一昨日に書きました、スサノオの「ヤマタノオロチ退治伝説」にも実は関連しているのです。


このヤマタノオロチ退治伝説は、単なる神々の伝説ではなく、実はあることがらを象徴したものだとする見方があるのです。
そもそもこのヤマタノオロチというのは何物かというと、「龍」の化身だという説があります。

秦が滅び、劉邦が中国を再統一し、紀元前202年に「漢」がおこりますが、「龍」は劉邦出生伝説以来、中国では皇帝のシンボル、また漢民族を象徴するものとして扱われてきました。

ヤマタノオロチは、なにやら怪しげなわけの分からない伝説上の生き物ですが、これは漢民族が他の民族を征服していく過程で、支配された民族のシンボルマークが合わさったものであろうと言われています。 
この漢民族が多民族を征服して行く途上で、その民族の娘たちを差し出すよう恫喝したであろうことは容易に想像できます。
これは、ヤマタノオロチに恐れおののいている老夫婦が暗示しています。
そして、8人の娘の末っ子である「クシナダヒメ」を8番目に差し出さねばならない状況だったので、老夫婦は嘆いていたわけです。


で、です。
ここでヤマタノオロチ退治伝説が何を象徴しているのかといえば、「ヤマタノオロチ=龍=漢民族」であり、「クシナダヒメと老夫婦=漢民族に征服または圧迫された他民族」を示しているということです。

そして、ヤマタノオロチの尻尾から「草薙の剣」が出て来たというのは、まさに娘を差し出すよう要求する不埒な漢民族が持っていた鉄の剣を日本人の祖先である渡来弥生人(=漢民族に圧迫されていた他民族)が奪って、大陸から日本列島にやって来たということを示しているように思います。

また、スサノオが「十拳剣(とつかのつるぎ)」でこのヤマタノオロチの尻尾を切り刻んでいた時に、剣の刃が欠けたと言いますが、これも青銅器であると思われる「十拳剣」が、鉄器である「草薙の剣」の硬さにはかなわずに欠けたのだと解釈できます。
ちなみに、「十拳剣」は「十束剣」とも表記し、これは剣の幅が「10束(束は長さの単位で、拳一つ分の幅)の長さの剣」という意味です。
幅が拳一つ分というのですから相当な大太刀ですよね。

さて、では、この大陸から日本列島にやって来た、日本人の祖先である弥生人(=漢民族に圧迫されていた他民族)とは具体的にどういう人たちだったのでしょうか?


一つは、漢ができたBC202年は、ローマではカルタゴとの「第二次ポエニ戦争」の真っ只中で、戦火を逃れた地中海の海洋民族フェニキア人(=カルタゴ人:カルタゴはフェニキアの植民地)が、海を渡って日本にまで逃れてきた可能性があると思います。
(昨日の日記に貼った古代年表をご参照ください。⇒http://kikuchistaffblog.eshizuoka.jp/e925149.html )

また、もう一つは、「長江文明」の末裔、江南地方で稲作と漁業をなりわいとしていた苗族(みゃおぞく=もんぞく)が、北(黄河文明の末梢)からの漢民族に圧迫され、海流に乗って、安全と思われた日本(南九州もしくは出雲地方)に辿り着き、そこからさらに船を使って各地に稲作を伝えたものだとも考えられます。

ちなみに「長江文明」とは、黄河文明とは明らかに異なる、中国長江流域で起こった古代文明の総称です。
以前は「中国の古代文明=黄河文明」と言われて来ましたが、「河姆渡遺跡(かぼといせき)」の発掘によって黄河文明とは異なる古代文明があったことが明らかになり、当時の前述の定説は覆され、現在では黄河文明と共に中国文明の代表とされています。




私は、フェニキア人説よりも苗族説の方が信憑性が高いように思います。

それはこの写真を見るとわかります。


 < 苗族の女性 >

綺麗な方ですねー。
非常に日本人の顔立ちに似ていると思いませんか?
アジアの人たちの顔は私たち日本人に似ていますが、日本人とちょっと違うなと感じる事がけっこう多くあります。
しかし、苗族の人たちに違和感をあまり感じません。

それはもしかしたら、私たち日本人の祖先がこの苗族だからではないでしょうか?


苗族とはいったいどんな人たちだったのでしょうね。






(以上、 sugar こと 相川正也 でした。)
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Posted by スタッフブログ『ひのき同好会』 at 23:59Comments(0)sugar

2012年07月21日

日本人はどこから来たか?

こんにちは。 菊池建設の sugar です。


日ごろから気になっていたことや、わからないままにしていたことを解明するシリーズ(?)「日常の世迷言」ですが、今日は以前から気になっていた「日本人はどこから来たか?」についてお話しします。



元々、我が国日本は、縄文人が住んでいました。
彼らは基本的には狩猟民族で動物や魚、あるいは木の実や果物を取って暮らしていました。(若干畑を作って作物を栽培していた例もあります。)

そこへ大陸から別の民族が渡来して来ました。
当然、縄文人と対立するのですが、渡来人は「稲作」という技術を持っており、定住して安定的な暮らしができるので(登呂遺跡はその代表)、人口も縄文人と比べ増加しやすかったこともあり、、また強力なあるモノを持っていたので、渡来人に圧迫された縄文人は後退して行くしかありませんでした。
渡来人たちが持っていた強力なあるモノとは何だったかというと、それは「鉄器」です。
縄文人たちは青銅器しか持っておらず、我々現代人には想像しにくいのですが、その両者の差は歴然としており、例えば農耕具一つを取ってみても、薄くても頑丈で軽量な鉄器は青銅器よりもはるかに優れていて稲作に適していました。
これが武器となれば、その差はもっと顕著だったことでしょう。

では、何故縄文人は鉄器を持ってなかったかと言えば、彼らには鉄器を作る技術がなかったからです。
鉄器を作るには、かなり高温となるかまどが必要ですが、縄文人にはその知識も技術もなく、逆に大陸から来た渡来人たちはその知識や技術を持っていたのです。

彼ら渡来人の正体はと言えば、「弥生人」です。
弥生人は元々は大陸(朝鮮半島)からやって来たのです。
そして、天皇家の祖先もこの弥生人と見られています。
つまり、驚くことに、あくまでも説ですが、昔の天皇は大陸(韓国もしくは中国)から来た外国人だったという見方が有力なのです。




日本に古くから定住していた「縄文人」の身体的特徴は比較的毛深くて、色黒で、顔の彫りが深く、眉毛も太めで目は二重で大きく、唇は厚め、角張った顔立ちで、ずんぐりした体型だったと言われています。
一方、渡来人である「弥生人」は対照的に、比較的体毛が薄く、色白で、顔の彫りは浅く、眉毛も薄くて細く、目は一重で細めでやや吊り目、唇は薄く、曲線的な楕円形の顔立ちで、ほっそりした華奢な体型だったと言います。

失礼ながら、今の天皇家の方々を見れば、上記の渡来した弥生人の特徴にピッタリあてはまるのがわかります。

ちなみに、渡来した弥生人に圧迫された縄文人は北上する派と南下する派とに別れ、北上組は今の北海道に渡ったと言われています。
これが、アイヌ民族のルーツだと言われているのです。
そして、南下した組は、琉球民族の祖先だと伝えられています。
確かに、その両者は住む場所は北と南で全く離れていますが、上記の身体的特徴は極めて似通っていますよね。


最後に、この時代の年表を貼っておきます。
世界の動きと比べてみると面白いですよ。



 < 縄文・弥生時代 年表 >

「孔子」って縄文時代の人だったのですねー!! ビックリ!





(以上、 sugar こと 相川正也 でした。)
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Posted by スタッフブログ『ひのき同好会』 at 17:18Comments(1)sugar